【貧困現場探訪①】元エリート会社員が西成に〝堕ちた〟理由とは?

大阪市の西成区――。

治安の悪さや下町風情を現在に残すことで知られるこの街に、東京の山谷や横浜の寿町と並ぶ〝日本三大ドヤ街〟(※ドヤ=簡易宿泊所)の一つにして最大級と呼ばれる「あいりん地区」が存在する。場所を具体的に示せば、JR新今宮駅から南側の、南海本線と阪神阪堺線に挟まれた、0.62ヘクタールという狭い区域のことである。

あいりんという呼称は1966年に行政によって命名されたものであるため、今も住人たちは「西成」、あるいは旧称の釜ヶ崎から「釜」と呼び方は変わる。

この地域が現在のドヤ街になったのは、およそ110年ほど前の1903(明治31)年のこと。当時、長町と呼ばれた地域に「長町スラム」という木賃宿が密集した地域があったが、1908(明治36)年に第5回内国勧業博覧会が現在の天王寺公園(大阪市天王寺区)・新世界一帯(同浪速区)で開催されることに関連して、スラム一帯の取り壊しが決定。それが釜ヶ崎一帯に流入し、現在の原型が出来たと言われている。

現在、ここに住むその日暮らしの住民たちは、この通称「西成」一帯を、「人生最後に流れ着く街」と表現する。そのように伝えられるのは何故なのか。REAL NEWS ONLINE!では、この特殊な街の様子を、数回にわたってお伝えする。

 

昨今、この国の貧困問題をテーマとしたレポートなどをよく見るが、それらはすべてこの街を通して語ることができる。周囲から隔絶されたかのような安い地価、家賃、日雇い労働者。この街は、日本中で貧困が問題となるはるか以前より、この問題と戦ってきたのである。

そんな街に流れ着いた人々を追いかけることによって、何らかの答えが見えるであろう。それが、この西成を取り上げる理由である。

西成は、戦後から日雇い労働者の街として発展と衰退を繰り返しながら、大阪万国博覧会(1970年代)、関西国際空港(1980〜90年代)などで人口3万人とピークを迎えている。バブルが崩壊し、現在は人口1万8000人ほどに減少。さらに住人の高齢化も進んでいる。

そんなこの街では、他人のことには口を出さない、詮索しないのが原則である。血の気の多い労働者が集まるため、酒を飲んでの喧嘩などが絶えないが、そんな時も周囲の人間は誰も口を出さない。仲裁に入れば、刃物を持ち出されかねない街なのである。一時期に較べて治安は良くなってはいるものの、そこまでの保証はない。言葉を交わす仲になった者がいても、お互いに素性は明かさない。東京の歌舞伎町や大阪の難波といった街とは、また違った危険性がある地域なのである。

近年は、街の人口減少にともない、ホテルの予約サイトなどに登録しているドヤが増加。そのため、安宿を求める観光客の姿を数多く見かけるが、この街で安易に写真を撮ると、身元を隠して住んでいる人間が多いため、怒られる、脅されることもあるので注意が必要である。

 

この街で、思ってもいなかった人生の終焉を迎えた人間は多い。大阪出身の山下(仮名)という60代の男は、関西圏の大企業・阪急の関連会社に勤めていた人間だ。そんな元エリートサラリーマンで、子供の頃からこの地域について、両親から「近づいてはいけない」と教えられていたという山下。筆者は、そんな山下に興味を持った。理由は、彼がこの街に流れ着いた人間の中でも、際立って〝平均的な人間〟だからである。つまり、山下を見ていると、誰もが明日より西成に流れて来かねない。そんな人間を取材することで、現代人の心の病巣とも言うべきものがみえるのではないだろうか。

 

そもそも山下は何故、この街に流れ着いたのだろうか?

この地域に移り住んで20年となる山下は、その理由を、「この街が過去を詮索されず、今までの生活を全て断ち切っても生活できるだろうから」と話す。それまでの人並み以上の生活すべてを失い、その寂しさを断ち切るためだったのか。しかし、生まれ育った大阪の街を離れることはできなかったようである。

日々の暮らしは、大阪市から支給される生活保護に頼っている。毎月、生活保護法に照らし合わせ、およそ12万円という金額を受け取っている。山下はドヤで暮らしているため、住宅扶助に関しては1人世帯で床面積が狭いということを理由に、満額の40000円から8000円減額されているのだ。

この家賃を払えば8万円も残らない金額で、生活をまかなっている。

部屋は一般的な賃貸アパートより狭く、風呂やトイレは共同。それでも山下は不満を漏らさない。毎日、働かなくても生活費が支給されるからであろうか。それに加え、この地域の物価が他地域に比べて非常に安いため、贅沢をしなければ普通に暮らせるという理由もあるだろう。

そんな山下だが、勤労意欲はある。実際に、生活保護を受給するまでは、現場仕事を探しては働いていた時期もあったというのだ。しかし、60才を超えたあたりから働ける場所が徐々になくなり、それ以外の仕事に就こうと思っても、この地域に住んでいる限り、それは不可能に近いのだそうだ。

それに、受給した生活保護費で遊んではいけないという法律は存在しない。道義的な責任のみ発生すると思ってもらってもいいだろう。

山下は、時おり酒を飲みにも行くし、多少の娯楽に興じる時もある。ただ、それが度を超して、やり繰りが厳しい月もこれまでにあった。そうした場合、西成に暮らす住人が頼るのは、生活保護受給者専門の金融業者である。

山下が頼った業者は、紹介者がいる場合に限り、生活保護の受給証明書を担保代わりに3万円まで貸してくれるという。だが、それも山下に言わせると、昔ほど取り立ては昔ほど厳しくはないのだそうだ。一昔前ならば、役所から手渡しで生活保護費を受給する人間は役所に同行、振り込みの人間は振り込みされる前日に、キャッシュカードを預けるのを義務付けられていたという。

金利は10日で1割という〝トイチ〟金融であるが、貧困ビジネスが問題になっている昨今、業者の側も確実に回収することを優先させるため、客を選んでいる可能性がある。

また、業者からの借金は分割返済も可能だが、まとまった金額を借りては楽に借金を返済する方法があると言う。

それは、病院へ行き、「夜に眠れない、寝つきが悪い」という理由で、睡眠導入剤、睡眠薬を処方してもらうというものだ。

処方される睡眠導入剤は2種類、睡眠薬は3種類、これが1カ月分処方されるのだが、これをワンシート1000円から1500円で買い取ってくれる人間が存在するのだ。買い取り金額がもっとも高いのは向精神薬だが、それらの処方は難しく、山下の場合はなかなか受け取ることはできない。また、診察を受ける際には役所を訪れて「医療券」というのを発行してもらわねばならないため、難しい疾患は避けているとも話す。当然、彼ら生活保護受給者には医療補助という生活保護の制度があるため、医療費は払わないのだが。

山下は、元の家族も含めて、今は一切の連絡は断ち切っている。自分への戒めのためか、過去をすべて忘れようと決心しているようだ。そして、その理由は一切明かさない。墓場まで持って行くつもりなのかもしれない。

山下に、西成はどのような街か、聞いてみた。

「西成か。慣れちゃあかん街やな」

寒さの厳しいこの季節にも、通称「センター」と呼ばれる、あいりん労働福祉センター付近には、多くのホームレスが暮らしている。

彼らにも行政、市民団体から救いの声は掛かることはある、だが、束縛されることを嫌う彼らは、不自由はあっても今の生活を選ぶようだ。

初めて訪れる人間にとって、表面だけを見れば、人生観が変わることもあると思われる西成。次回は、この街にたどり着いた元アウトローの日常を取り上げたい。

(文◎中田一行)