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1923年の地震後の静岡の津波被害を示す映像

1923年の地震後の静岡の津波被害を示す映像


板橋区立科学教育会館で山端毅氏が発見した35ミリ映像には、1923年の関東大震災後、当時の静岡県伊東市で津波で家屋が倒壊し、橋に座礁した船が映っている。(ビデオ:隆治氏)八木)

1923年の関東大震災後に静岡県で撮影された新たに発見された映像は、日本における津波被害の最も初期の35ミリ記録の一つとなる可能性がある。

13分30秒の長さのこの映像には、当時の伊東市(現在は静岡県の主要都市)で破壊された家屋や橋に座礁したボートなどが映っている。

東京・板橋教育科学館の研究員、山端剛さん(25)が昨年秋に発見した。震災100年に合わせて展覧会の準備を進めていた板橋区。

武蔵野芸術大学でメディア考古学の非常勤講師を務める福島加奈子氏は、「関東大震災は、日本に映像技術が導入されてから初めて記録された地震だと考えられている」と語る。 「これは日本の津波被害を描いた最初の映画の一つと言えるでしょう。」

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1923年の関東大震災による津波で、静岡県旧伊東町の橋に座礁した船(板橋区、山端剛さん提供)

1923年9月1日午前11時58分に関東地方を襲ったマグニチュード7.9の地震では、10万5,385人の命が失われた。

伊東市教育委員会事務局長によると、伊東市は高さ約5メートルの津波が襲った。 死者・行方不明者は約80人に達し、流失した360戸を含む1000戸以上の家屋が被害を受けた。

見出しには、その映像は朝日新聞のカメラマンによって撮影されたと書かれている本社は大阪にあります。

朝日新聞の沿革や当時の新聞記事によると、9月1日午後、電車運休を受けて大阪支社から派遣されたカメラマンらが静岡県沼津地区に到着した。

国立映画アーカイブの客員研究員、栃木明氏によると、場所が記事と一致していることから、この映像は大阪の朝日新聞のカメラマンが撮影したものであると言えるだろう。

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新たに発見された35ミリ映像には、1923年の関東大震災後に静岡県御殿場市で撮影されたとされるこの場面が含まれている(提供:板橋組曲 山端剛)

映像の一部は、朝日新聞社提供の16mmフィルムに収録され、国立映画アーカイブに保管されている。

福島監督は、前作にはなかった6分間の部分に伊東市の津波被害の映像が含まれていると語った。

東京大学の佐竹健二教授(地震学)は「関東大震災で東京と横浜が火災で大きな被害を受けたことは知られているが、静岡県の沿岸部も津波で大きな被害を受けた」と語る。

同氏は「新たに発見された映像は被害を知るための貴重な資料であり、地元住民が災害に備えるための重要なツールとなる」と付け加えた。

現在は神奈川県の沿岸都市である逗子市も、関東大震災による津波の被害を受けた。

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1923年の関東大震災後、津波の瓦礫の前を歩く静岡県伊東市の住民たち(板橋区山端剛さん提供)

当時 12 歳だった高島富士さんは、漁師が「揺れる硬い地面より砂地の方が安全だ」と言った後、2 歳の弟と一緒に海岸に逃げたことを覚えています。

自宅から約200メートル離れた海岸に到着した後、津波が近づいていると知らされた。 彼女は弟を救おうとすぐに高台へ向かいました。

高島さんは「怖かったのは忘れられない」と語り、足には地震のがれきの傷跡が今も残っている。 「階段に戻ると、足元で波が打ち寄せていました。」

新たに発見された映像は、9月2日から9日まで板橋区教育科学館で開催される展示会で一般公開される。 9月4日は休館となります。

(ふみこ 芳垣 この記事に貢献しました。)