三重県名張市 – イスラエル・パレスチナ紛争やロシアのウクライナ侵略など終わりのない紛争のさなか、アメリカ人平和研究生がこの西日本の都市にあるアメリカ爆撃機の乗組員を記念する神社を訪れた。 第二次世界大戦。
オハイオ大学で平和を研究するクリスチャン・マッコールさん(28)は11月4日、75歳の河野和仁住職に会いに実相寺を訪れた。 マッコール氏は、なぜ寺院が敵国グループのメンバーを追悼し続けるのかと尋ねた。 憎しみの連鎖を断ち切るための手がかりを探しているとき、河野さんは亡くなった父親に同じ質問をしたことを思い出した。
第二次世界大戦末期の1945年6月5日、B-29が日本軍戦闘機の攻撃を受け、地蔵院近くの山中に墜落した。 墜落直前、飛行機は炎と破片を吐き出しながら寺院の上空を通過した。 当時の住職だった河野さんの父和弘さん(33歳)は、落下した瓦礫を拾い上げ、本堂に安置した。
和宏さんは毎年6月5日、本堂の瓦礫の前で亡くなった米軍団員11人を弔う読経を行っている。 この地区の若者も戦争で亡くなったため、地元住民の間では米兵に対する反感が強かった。 河野少年でさえ父親に、なぜ敵兵のために歌を唱えるのか尋ねた。 和宏さんは「敵も味方も戦争の犠牲者は同じ。海外で亡くなった若者のことを思い出し、追悼の意を表する」と応じた。
河野さんは次第に「乗組員たちは当局の命令で日本を攻撃せざるを得なくなった。本当は戦争をしたくなかったのかもしれない」と考え始めた。 和宏さんの死後、河野さんは父の遺志を受け継ぎ、毎年アメリカ人航空乗組員の追悼式を開き始めた。
河野さんは2006年、郡遺族会や郡関係者の理解と協力を得て、B29墜落現場近くに記念碑を建立した。 翌年、彼は 11 人のアメリカ退役軍人の名前、階級、年齢を刻んだ墓石を追加しました。 霊廟には「航空乗組員として、私たちは11人の若い米兵の死を悼みます。尊い命を犠牲にするという間違いを犯さないように、平和を維持するための日々の努力を怠ってはならない」と記されている。
それ以来、河野さんは毎年、日本で第二次世界大戦が終結した年である8月15日に、地元の戦没者と11人のアメリカ人犠牲者を追悼するため、神社の本堂と墜落現場で慰霊祭を行っている。
マッコールさんは河野さんから詳しい話を聞き、墜落現場を訪れた。 彼は持参した星条旗を三角形に折り、サマーディの前に置きました。 国旗が三角形に折りたたまれているのは敬意を表すためです。
マッコールさんは戦争の恐ろしさを改めて思い返しながら、山中で自分と同年代の若者が亡くなったことを知り悲しくなったと語った。 毎年恒例の記念式典が敵味方の壁を越えて開催されたことに感銘を受けたと語った。
【山中奈都】
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